琉球大学国際地域創造学部の松本晶子教授、医学研究科の高橋健造教授、医学部の内海大介特命講師らの研究グループは、京都大学、モンペリエ大学、ケニア霊長類研究所との国際共同研究を通じて、ヒトの皮膚創傷の治癒速度が、他の霊長類や齧歯類と比べて平均して約3倍遅いことを明らかにしました。本研究は、ヒトの治癒遅延が最も近縁な霊長類にすら見られない、ヒト系統に特有の進化的変化である可能性を示唆するものです。 本成果は2025年4月30日、学術雑誌「Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences」に掲載されました。 |
<発表概要>
本研究は、ヒトの皮膚に生じた創傷の治癒が他の霊長類や齧歯類と比べて顕著に遅いことを実証しました。この治癒速度の遅延がヒト系統における進化的変化である可能性を示唆しています。
研究成果は2025年4月30日、「Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences」に掲載されました。
① 研究の背景?問題点
ケガは多くの動物にとって避けられないものであり、ほとんどの個体が一生のうちに何らかの傷(皮膚が破れたり、切れたりしたもの)を経験します。一般には致命的でないとされる傷も、感染や摂食?移動能力の低下を通じて、間接的に生存や繁殖に深刻な影響を及ぼすことがあります。傷を治すためには多くのエネルギーや栄養素が必要であり、それらの資源は成長や繁殖にも使われるため、「傷を治すために資源を使う」 「体を維持する他の機能に資源を使う」の間にはしばしば一得一失の関係(トレードオフ)が発生します。このような背景から、すばやく傷を治すことは野生動物にとって重要な適応特性であると考えられています。
これまでの研究で、ヒトが傷を治す能力は他の動物に比べて遅いと指摘されていましたが、この不利な特性が進化的にいつ生じたのかは明らかになっていませんでした。本研究は、ヒトを含む複数種のほ乳類において傷を治す速度を比較することで、その進化的な背景に迫ることを目的としました。
② 研究内容と手法
本研究は、京都大学、モンペリエ大学、ケニア霊長類研究所との国際共同研究として実施されたものです。
本研究では、ヒト、非ヒト霊長類(アヌビスヒヒ、サイクスモンキー、ベルベットモンキー、チンパンジー)、および齧歯類(マウスおよびラット)を対象に、皮膚にできた傷が治るまでの速度(治癒速度)を比較しました。
非ヒト霊長類および齧歯類には、研究倫理に配慮したうえで人工的に小さな切創を施し、定期的な画像記録を通じて速度を計測しました(図1)。ヒトとチンパンジーについては倫理的配慮から自然に生じた創傷を対象とし、写真記録に基づき治癒の過程を追跡しました。
図1.ケニア霊長類研究所で、内海特命講師(中央)がケニア人スタッフとともに、傷を作成する作業実験を行っている様子(撮影 松本).
結果として、非ヒト霊長類および齧歯類では平均して1日あたり0.6 mmの速度で傷が治り、非ヒト霊長類と齧歯類の間でこの治癒速度には差がないことが分かりました。さらに、ヒヒにおいては野生個体と飼育個体の間でも有意な差はありませんでした。このことは、ほ乳類に共通する「最適な治癒速度」が存在する可能性を示唆しています。
一方で、ヒトの治癒速度は1日あたり約0.25mmと、他のほ乳類に比べて約3倍遅いことが確認されました(図2)。ヒトと最も近縁なチンパンジーの治癒速度が他の霊長類と同じであったことは(図3)、ヒトに特有の治癒遅延がヒト系統で生じた可能性を示しています。
図2.ヒトおよび他の4種の霊長類における、傷の経過日数とふさがった長さの関係.ヒトの治癒速度は他の霊長類と比較して3倍遅い.
図3.霊長類の系統的な関係.現生する動物のなかでは、チンパンジーがヒトに最も近縁である.分岐年代はおおよその時期を示している.
③ 社会的意義と今後の展望
本研究は、ヒトの皮膚にできた傷が治るまでの速度が他のほ乳類に比べて著しく遅いことを進化的視点から示したはじめての研究です。この発見は、従来の創傷治癒に関する知見に新たな視座を提供し、ヒト特有の治癒特性を進化生物学的に再評価する手がかりとなります。
本研究は治癒「速度」の比較に焦点を当てており、そのメカニズム(遺伝子、細胞、構造など)については直接踏み込んでいませんが、ヒトに特有の治癒遅延がどのように進化したのかを探る出発点として、今後の研究に道を拓くものです。
将来的には、ヒトの治癒速度が進化的に遅くなった要因を解明するために、遺伝子発現や細胞レベルでの応答、皮膚構造の違い(体毛の矮小化、幹細胞機能、汗腺や毛包との関係など)に関する多角的な研究が求められます。また、化石人骨の痕跡や現生霊長類との比較を通じて、ヒトの治癒特性がどの時期、どのようにして変化してきたのかを明らかにすることも、今後の重要な課題です。
こうした研究は、進化医学や比較生物学の発展に寄与するとともに、人類の身体的適応やその限界を理解するための貴重な知見を提供することが期待されます。
<論文情報>
- ?論文タイトル: Inter-species differences in wound-healing rate: a comparative study involving primates and rodents
創傷治癒速度の種間差異:霊長類とげっ歯類の比較研究 - ?雑誌名: Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences
- 著者: Matsumoto-Oda A*, Utsumi D, Takahashi K, Hirata S, Nyachieo A, Chai D, Jillani N, Raymond M
- DOI番号: 10.1098/rspb.2025.0233